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束縛スル里

変幻六花編BADENDその後 ~もしもゲスMSが一途だったら~ 後編









「起きるっす!! ノヴシゲさん!!」
 オレはいつまでも布団の中ですやすやと寝息を立てているノヴシゲさんを叩き起こすために布団を一気に剥いだ。もう十時を過ぎてしまっている。寝坊だ。
「・・・・・・さむい」
 ノヴシゲさんはそうつぶやいて、まるで胎児のように身体を縮めた。そりゃ寒いだろう。ノヴシゲさんはその身に何も纏っていないのだから。オレたちは毎日のように肌を重ねている。ノヴシゲさんが素っ裸なのはその名残だ。
 例のあざが白日の下に照らされ、オレは顔を歪める。ノヴシゲさんがうちに来てから何日も経っているのに、あざは未だに身体から消えることはない。見るたびに怒りがわき、不安になる・・・・・・こんなもの、さっさと消えて欲しい。いや、消えるべきだ。
「まったく、いつからこんなに朝寝坊するようになったんすか? さっさと起きないと大人のイタズラしちゃうっすよ? うひゃひゃ!!」
 最近、ノヴシゲさんは朝起きるのが遅くなってきた。というよりも、日が経つにつれ一日あたりの睡眠時間が増えているような気がする。新しい環境になって疲れが溜まっているのだろうか。
  それに、肌を触れ合わせるたびに、ノヴシゲさんの体温が少しずつ低くなっているような気がして・・・・・・それが嫌でしょうがない。首を掻き毟りたくなる ほど苦しい。それは、何よりも恐ろしい結末に繋がっているように思える。夜、行為が終わった後オレは布団の中で何度も震えた。
 ノヴシゲさんはのろのろと上半身を起こした。オレはノヴシゲさんの着替えを手伝うために、畳の上にひざをついて、着替えの入った籠に視線を動かし縁に手をかけて引き寄せた。
「起きたらちょっと遅いけど朝飯食って、いつものように散歩するっすよ」
「・・・・・・」
 あの焼きただれた残滓が再び目に入らないよう細心の注意を払いながら、散歩は何とか続けている。そうしなければ、近いうちに歩けなくなってしまうだろうという危機感。それでも、オレをあざ笑うかのようにノヴシゲさんの歩く速度はだんだん落ちてきていた。
「今度はどのコースにするっすかねえ。狭い村なんで、いいかげんレパートリーが・・・・・・」
 そう言いかけながら、オレは振り向いた。
「まーた泣いてんすか、ノヴシゲさん」
  ノヴシゲさんは、外を見ながら涙を流していた。またか! 若様のところにいる頃から時々涙を流していた事は知っていたが、この頃はその回数が増えていた。 この頃というよりも、一緒に散歩に行って、あの家を見た時からかもしれない。
 若様の力で、ノヴシゲさんはずっと幸せな夢を見ているはずなのに。それに綻びが出来てしまったのだろうか。
 オレは苦々しく思いつつあわてて口を開く。
「別になーんも寂しいことはないんすから、泣かなくても良いじゃないっすか。呼んでくれれば、このモリヤ様がすぐにでも飛んでくるっすよ! 見返りは当然いただくっすけどね。この世の中、ロハより高いものはないって言うじゃないっすか。うひゃひゃ!」
 そして無理やり笑顔を作りながらノヴシゲさんに服を着せていく。
「・・・・・・キンパチ」
「いやホントマジでモリヤっすから。オレはそんなダサ男じゃないっすから。頼むっすよマジでノヴシゲさん」
 ノヴシゲさんの小さなつぶやきにも、いちいち訂正しないと気が済まない。無視すればいいのだろうか。いや、それじゃ駄目だ。こうやって一回一回訂正していけば、いつかはノヴシゲさんがその柔らかい唇で「モリヤ」という名を紡いでくれるに違いない。
 服を着せてティッシュで涙を拭いてやっていると、チャイムが鳴った。どうせ宅配便か何かだろうと思って気にせずにいると、ふすまの外から声を掛けられる。
「失礼致します、坊ちゃま。若様がおこしになられたのですが」
 オレは舌打ちをした。何の用だっつの。
「・・・・・・あー、いちおー応接間に通しといてくれる?」
「かしこまりました」
 オレはばあやにそう告げると大きくため息をついた。顔も見たくねえけど、しゃあない。
「そんじゃさっさと追っ払ってきやすんで。オレがいないからって泣いたりしないで、おとなしく待ってるんすよ?」
 オレはノヴシゲさんの頬をなでる。反対側の頬を見ると、涙はいつの間にか止まっていたようだ。オレはホッとすると、立ち上がって応接間に向かった。

「サーセン、待たせました。ご無沙汰っす」
 若様はいつものようにフードを深くかぶりサングラスをかけた格好で、応接間の椅子に座っていた。若様は気安く片手を挙げて声を掛けてくる。
「どうもどうも。こちらこそご無沙汰しておりまして申し訳ありません。いやあ、新しいお紅さまにかまけていたら時間の経つのが早い早い! あなたのおかげで村は発展、わたくしも毎日が充実しておりますよ。はっはっは!」
 耳障りな笑い声だ。そんなどうでもいいことをわざわざ報告しに来たのだろうか。オレはテーブルを隔てた向かいの椅子に座ることなく口を開く。
「はあ、それはよかったっす。それで、なにかご用っすか?」
「まあまあ。そう焦らないで、とにかくお座りください」
 若様に促され、オレはしぶしぶ椅子に座る。長くなってはたまらない。早くノヴシゲさんと散歩に行きたい。若様はオレの様子を知ってか知らずでか、ゴホンと一つ咳払いした。
「さすがのわたくしも心配になって様子を見に来たのですよ。猿飛くんとお紅さまはうまくやっているのかとね」
「はあ」
 その時、応接間のドアがノックされ、ばあやがお茶を持ってやってきた。テーブルの上にお茶を置くと、若様は頭を下げる。そしてばあやは黙って退室して行った。
「これはわたくしが選びに選んで特別に取り寄せたお茶ですので、どうぞ飲んでみてください。驚きますよ~!」
「はあ。いただきます」
 オレは湯気が立っているお茶を手に取ると口をつける。若様がじっとこちらの反応をうかがっているようだったので、一つ頷いて見せてやった。
「うまいっす」
「そうでしょうそうでしょう! いやあこのお茶はですね、なんと熟成期間が・・・・・・」
 若様は自分の持ってきたお茶のウンチクを実に楽しそうに語りだした。オレは若様の話が右耳から左耳に通り抜けていくのを感じながら、うんうんと何度も頷いた。
 いつまで続くのかとイライラし始めた頃、若様はやっと本題に入ったようだった。
「それで、お紅さま・・・・・・ノヴシゲさんの具合はどうですか?」
 サングラスの奥の瞳が鈍く光る。
「具合・・・・・・っすか?」
 妙な言い方だな、と思った。ノヴシゲさんの体調が優れない事を知っているのだろうか?
「ええ・・・・・・ああ、あなたにはもう少し言葉を選ぶべきだったかもしれませんね。失敬失敬」
 オレはその物言いに引っかかりつつも、無表情を装う。若様は耳打ちをするように手を口元に添えて顔を寄せてくる。
「・・・・・・彼女、床上手でしょう? あなたもだいぶお楽しみになっているのではないかと思いましてね。彼女、何でも言う事を聞くでしょう? いやあ、あそこまでにするには苦労いたしましたよ、はっはっは」
 火薬に火がついたように、頭の中がカッとなる。ぶん殴りそうになるのを、オレはこぶしを思い切り握り締めて耐える。こいつをぶん殴ったら、今度はどんな恐ろしい罰を与えられるかわからない。
「ははは・・・・・・そっすね。最高っす」
「そうでしょうそうでしょう! いやあ、一度彼女と寝屋を共にすると、他の方ではなかなか満足できなくなってしまって困りモノなんですよね。今は新しいお紅さまを、お紅さまに相応しくするべく指導中なんですがね。まだまだ時間がかかりそうですねえ」
「そっすか。頑張って下さい」
 オレは顔に出さないよう全神経を集中させる。無理やりに笑顔を作る。それでも額には脂汗が滲んで身体の芯は燃え盛るように熱くなっている。
「それでふと彼女のことを思い出しまして。彼女はあなたとちゃんとうまくやれているのか、とね。何かあればわたくしが相談に乗りますので、なんでもおっしゃってください。なにしろ、わたくしは彼女のことを知り尽くしておりますからね・・・・・・ククク」
 なにが知り尽くしているだ! ふざけやがって!!
 オレは錆び付いた機械のように、ギギギという擬音を発しそうになるくらいぎこちない動きで、首を振った。
「ま、まさか! 若様にご相談できることなんて・・・・・・」
「嘘はいけませんよ猿飛君。わたくしとあなたとの仲じゃないですか。遠慮なんて水臭いですよ。さあ、何でもおっしゃってください」
 こうなってしまうと若様はオレが何か相談するまで帰らないだろう。何もないと言って押し通しても、若様は非常に機嫌を悪くする。何か言わないといけないのか・・・・・・。
 そうだ、いいことを思いついた。こいつがどうにもならなそうなことを相談して、解決策を提示できずに困る顔を見てほくそ笑むこととしよう。
「すいやせん、一つだけあるっす。実は、ノヴシゲさん、なんでかわかんないんすけど、オレが何もしてないのに時々泣くんすよね。うざったいんで早く泣き止ませたいんすけど、どうすればいいっすかね?」
「ああ、それですか! わたくしもそれには何度も嫌な思いをさせられたものです。ですが、実はですね、いい方法があるんですよ」
「え? そ、そうなんすか?」
 オレの予想とは違って、若様は早く言いたくて仕方がないといった雰囲気で身を乗り出してくる。正直興味があるので、オレは耳を澄まして答えを待った。若様は内緒話をするように、ここぞとばかりに声を潜めた。
「それはですね、根津くんのマネをすることなんですよ」
「・・・・・・は?」
 思わず妙な声が出てしまう。何かの聞き間違いかと思い、その言葉の意味を考えようと硬直していると、若様は喜々として同じ言葉を繰り返した。
「で すから、彼女が泣いてしまった時は、根津くんのモノマネをするんですよ。それこそ、口調をマネするくらいで構いません。それだけで彼女はあっという間に泣 き止み、こちらに甘えてくるのです。その後のまぐわいと言ったらもう・・・・・・燃え上がってすごい事になります。効果てきめんですから、ぜひ一度お試し あれ!」
 若様はなんだか偉そうに胸を張った。
 ・・・・・・あ、そっか。この人偉いんだったっけ。
「なるほどっ、それはすごいっす!! 今度オレに黙って泣いてやがったら早速試してみるっす!!」
「ええ! 本当に面白いくらいに効果がありますので。驚きますよ!」
 オレは手をパチパチと叩いてニヤニヤする。
「ネズのモノマネかあ。良いこと聞いちゃったっす!!」
「もっと早くお伝えしていれば良かったですね、申し訳ございませんでした。それでは、わたくしはそろそろおいとましますね」
 若様はそう言うと急に立ち上がった。藪蛇かもしれないとは思いつつ、オレは聞かずにはいられなかったので口を開く。
「お紅さま・・・・・・ノヴシゲさんの顔は見ていかないんすか?」
「ああ、それには及びません」
 短い言葉ではあるが、自分が棄てた女に今更会う必要はないといった意思が感じ取れた。
  正直、若様にノヴシゲさんとは会ってほしくはない。けど、いままでずっと世話になっていたくせに、まるで興味がないといった態度をとられるのも腹が立つ。 まあ、会わないと言ってくれたのだから気にしないことにする。眉毛ぐらいはぴくぴくと引きつってしまっているかもしれないが。
「わかったっす。それじゃ玄関までお送りするっす」
 オレも立ち上がってドアを開き、手振りで部屋の外を示した。
 若様は玄関で靴を履くと慌ただしく帰っていった。あの人はああ見えて忙しい。もしかしたら時間が押していたのかもしれない。ホント、わざわざご苦労さん。てかノヴシゲさんに会わないんなら電話で良かっただろ糞野郎。
 オレはノヴシゲさんの部屋に急ぎ足で戻った。
 ノヴシゲさんは、外を見ながら畳の上に腰を降ろしている。太陽は南東。差し込んだ光がノヴシゲさんの白髪を輝かせる。その横顔は、誰よりも綺麗で、誰よりも愛おしくて。
 オレはノヴシゲさんの傍らに立つ。
「・・・・・・キンパチ」
 そうつぶやく彼女は、大粒の涙を流していた。

 根津くんのマネをすることなんですよ。それだけで彼女はあっという間に泣き止み、こちらに甘えてくるのです。
 なるほどっ、それはすごいっす!! 今度オレに黙って泣いてやがったら早速試してみるっす!!

 糞と馬鹿の会話がフラッシュバックする。
 オレはグッと息を呑みこむと、しゃがみ込んで、ノヴシゲさんの頭を優しく抱いた。
「・・・・・・すげー待たせちゃってすいやせんでした、ノヴシゲさん。このモリヤ様が戻ったからには、泣くことなんてないっすよ」
「・・・・・・」
 彼女は、泣き止まない。
「寂しかったんですよね? オレがいなくて、怖かったんですよね? だけど今はオレがいるじゃないっすか。だから、もう泣かなくていいんすよ、ノヴシゲさん・・・・・・」
 ネズの野郎のマネなんかしてやるもんか。
死んでもやるもんか!! ノヴシゲさんには、オレを見てほしいんだ!! オレが一緒にいることで、安心してほしいんだ!! オレだけを見て、オレだけ想ってほしいんだ!! ネズに向けられた想いをオレが受け取るなんて嫌だ!! 絶対に嫌だ!!
「・・・・・・キンパチは?」
 それでも、想いは通じない。
 オレは心がズタズタになりそうなほどの痛みを感じながら、ノヴシゲさんが泣き疲れて眠ってしまうまで、懸命に慰め続けた。


 ノヴシゲさんの睡眠時間が明らかに長くなった。
  というのも、何日か周期に一日中眠り続けることがあるのだ。はじめてそうなった時の驚きと言ったらなかった。いつもの寝坊かなと思ったら、いつまでも待ち 続けても一向に目覚めなかったのだ。焦ったオレは名前を呼び掛けてみたり、肩を揺すったりしても全く起きる気配がなかった。
「そろそろ限界ですね」
 若様の、いつか聞いたそんな言葉が脳裏に浮かぶ。
 オレは急いで医者を呼んだ。診察の結果は「ただ寝ているだけ」だという。目覚める時を待つしかない。そもそもお紅さまの身体は普通の人間とは違う。正直に言えばどうなるかわからない。オレはそう言われた。
 ただ、寝ているだけ。
 胸に耳を当ててみると、心臓のほのかな鼓動を確かに感じた。なるほど、いつもの寝坊が日をまたいでいるようなものか。朝寝坊ここに極まれり。
 けれども、ほぼ微動だにせず、白磁の如く血の気が無い肌を持ち、触れればヒヤリと冷たいその身体はまるで死んでいるかのように思えて、オレは恐怖で震えた。
  本当にただ寝ているだけなのだろうか。本当に目覚めるのだろうか。もう二度と目覚めないのではないか。もう「限界」なのだろうか。そんな絶望にも等しい想 像が頭の中をぐるぐるとかきまわす。かき乱す。オレはどこかに出かけたり他の部屋に行ったりする気にもなれず、ずっとノヴシゲさんのそばで様子を眺め続け た。
 だから、ノヴシゲさんがまぶたを開けた時は。
 感極まって思い切り抱きしめてしまった。
 そして彼女は。
 またも泣く。

「・・・・・・またっすか」
 散歩をするためにオレが自室に戻って着替えている間に、ノヴシゲさんは泣き始めたらしい。
  外に顔を向けながら、透明で塩っ辛い雫を大きな瞳から垂らしている。なぜいつも外を見ているのだろう。それは、誰かを待ち続けているのではないか。きっと オレではない。はるか昔に肉塊となった、あの野郎を。これだけオレが想っているのに、あれだけ身体を重ねたというのに、それでもネズの野郎が良いのだろう か。
 そう思った瞬間、オレの中の、ずっと我慢していたなにがしかの緒が切れてしまった。
「泣いてんじゃねえよっ!!」
 オレは絶叫した。さすがのノヴシゲさんも少しだけ身を震わせると、更に大粒の涙を流し始めた。
  しまった・・・・・・やっちまった。そう思ってももう遅い。オレは、自分の想いが伝わらないばかりに、ノヴシゲさんに八つ当たりをしてしまった。やるせな い、激しい後悔が襲ってくる。そもそもこうなってしまったのは若様、いや・・・・・・この村と、ナガムシ様のせいなのだ。あとは、オレか。オレも悪いの だ。だから、オレがノヴシゲさんに対して怒るのはおかしなこと。
「・・・・・・・キンパチは?」
「モリヤっす。ネズはいねえっす」
 それでも言わずにはいられない。やっぱりノヴシゲさんにはオレを見てほしいのだ。ノヴシゲさんの想いはネズのためだけに向けられるものじゃないのだと。諦めたくないのだ。
 時間が、欲しい。もっと。
「そろそろ限界ですね」
 そんなわけがない!
 ほとんど歩けなくなっているとしても、泣く回数が増えているとしても、寝ている時間が多くなっているとしても、心臓の鼓動が小さくなっているとしても、食事する量が減っていっているとしても、身体がどんどん冷たくなっているとしても、ノヴシゲさんはまだ限界じゃない!!
 せめて一度。オレを見て、笑って、モリヤと言ってくれたら。
 そんな渇望を胸に、オレは、ノヴシゲさんに笑いかけ続けた。


「う~、さみぃ・・・・・・」
 思わず泣きが入る。廊下は冷え切っていて、スリッパを履いていなければ足元から凍りついて行くだろう。そんなふうに錯覚するほど寒かった。
「ばあやも暖房入れといてくれりゃあよかったのに・・・・・」
  事実、外では初雪が深々と降っている。降り始めで積もってはいないが、予報ではかなり積もるとのこと。雪が降りしきり積もり過ぎると、村と県道を結ぶ唯一 の道が塞がれて、車が通れなくなり、村が外から孤立してしまうこともある。そこまでは降らないでくれと祈りながら、オレは廊下を歩いている。
 心 臓はバクバクだ。というのも、今は朝八時過ぎ。記録更新する勢いで、ずっと目を覚まさないノヴシゲさんを無理やりにでも起こそうと決意を固め、顔を洗って きたところなのだ。目を覚ましているか、それとも寝たままなのか・・・・・・ここのところ三日ほど眠り続けている。その間に一睡もしていないオレは、さす がに眠くなってしまって、心を落ち着かせるためにも顔を洗いに行った。今日こそは目覚めるはず。そう信じていても、心臓が暴れるのを止めることが出来な い。どうしても最悪の事態を想像してしまって、緊張してしまう。
 大丈夫。根拠のないポジティブさはオレの持ち味。だから、大丈夫。
 オレは深呼吸を何度も繰り返して、ノヴシゲさんが寝ている部屋の襖を、意を決して一気に開いた。
「・・・・・・起きてたんすね、ノヴシゲさん」
  あれだけ深呼吸したのに、胸をなで下ろし、また大きく息をはいてしまった。ノヴシゲさんは雪の降る、よく手入れのされた中庭を眺めていた。オレはごしごし と両目を擦る。白く染まりつつある外の風景にノヴシゲさんの髪が同化して、その姿が消えていってしまったように見えたからだ。充血するほど目に気合を入れ て、目ん玉をひん剥いてノヴシゲさんの姿を捉える。
 うん、ノヴシゲさんはちゃんとここにいる。消えてなんていない。
「外、だれか来そうっすか? こんな雪の中じゃ、サンタだって外出するのをためらうんじゃないっすかね」
「・・・・・・きれい、だから」
「ノヴシゲさん?」
 おっ、と思った。今まではオレの言葉に応えてくれることはほとんどなかったから。なんだか良い傾向に思えてオレは鼻歌を歌いたくなった。
「たしかに綺麗っすねー。オレもガキん時は雪が降る度に興奮して外で暴れまわったもんっすけど。純粋だったんすね。今となっては雪なんて降られても煩わしいだけっすけどね。ああ、思い出すのはオヤジに雪かきをやらされまくった日々・・・・・・」
「・・・・・・うん」
「とはいえオレも雪は好きっす。キラキラしてて、小さな水晶みたいで、そんなのが空からいっぱい降ってきてさ。なんかドキドキするっす」
「・・・・・・」
 何言ってんだオレは。恥ずかしい。調子に乗ってしゃべりすぎだ。オレのクールなイメージが崩れる。
 ノヴシゲさんが雪に熱中している今のうちに布団を仕舞っちまおう。布団を出しっぱなしにしていると、知らず知らずのうちにノヴシゲさんが布団にもぐりこんでしまうからだ。
「・・・・・・さむい」
 敷布団を先に押し入れにしまったところで、ノヴシゲさんはそうつぶやいた。そら寒いだろう。ノヴシゲさんはいつの間にか窓を開け放っていた。暖気が逃げ出す。大量の冷気と雪の粒が入り込む。
「ちょ、なに窓開けてんすか!?」
「・・・・・・このほうがいい」
「いやいや、寒いんすよね? だったら窓閉めた方がいいっすよ」
「・・・・・・」
  ノヴシゲさんから無言の圧力を感じる。ノヴシゲさんは薄い寝巻を一枚羽織っているだけの状態で、縁側にお尻を着けて座っているので、相当な寒さを感じてい るはず。それでも窓を閉めたくないのか。こんなにはっきりと意思表示をするノヴシゲさんを見るのは初めてだった。オレは嬉しくなった。体調が快方に向かっ ているのではないかと。これなら、近いうちにオレを見てくれるようになるのではないかと! 
「・・・・・・はあ、ノヴシゲさんはわがままっすねえ! しょうがないっすけど、許してやるっす!」
 オレは毛布を掴むとノヴシゲさんの隣に座って、二人で一緒に毛布にくるまって、頭を寄せた。
「特別っすよ? オレがわがままをきく女なんて、この世に二人といな・・・・・・!?」
 オレは、絶句した。
 触れたノヴシゲさんの身体は、酷く冷たかった。ずっと薄着でいたからとか、外の冷気に触れていたからとか、そういう問題ではない。
 なにが、快方に向かっている、近いうちにオレを見てくれるようになる・・・・・・だ。
 そんな儚い希望を一発で打ち砕くような、絶望的な冷たさだった。心臓は動いているのだろうか。瞳もいつも以上に虚ろで。こんなにも冷たくて、心臓の鼓動さえも感じない。これが、本当に人間の身体なのだろうか?
 背筋が凍る。震えて、歯がガチガチと鳴りだす。なによりも恐れていたことが、すぐ目の前に迫っている・・・・・・。
 けど、まだノヴシゲさんは息をして、雪を見ているじゃないか!
 限りなく虚ろに近く、限りない美しさを湛えた瞳。その瞳は、目の前を降りしきる雪をきっと捉えて。命はまだここにある。
 そうだ、オレも雪を見よう。そうすれば、ノヴシゲさんと同じ時を、感覚を共有できる。オレは頬を寄せて、外に視線を向けた。
 雪が降っている。キラキラと、ゆらゆらと、光をチカチカと反射しながら地面へと舞い降りていく。まだ朝の陽ざしの熱が残っているのか、雪は地面や屋根などに触れて消え去っていく。それを見ていると、オレはなんだか感傷的になってしまった。
「・・・・・・そういえば若様がノヴシゲさんのこと雪みたいな人ですねって言ったっけ。あんな野郎に同意するのはシャクっすけど・・・・・・オレも、そう思うよ。ノヴシゲさん、雪みたいに白くて、儚くて、すげえ綺麗っすもん。それに・・・・・・」
 そして、雪のように、溶けてオレの前から消え去ってしまうのだろうか。
 オレは思わずノヴシゲさんを抱きしめていた。
「・・・・・・あったかい」
「オレも! ・・・・・・オレも、あったかいっす」
 嘘だ。
ノヴシゲさんの身体は限りなく冷たい。だから、せめてオレの熱を、命の灯火を少しでも与えられたら。そう思って、必死に抱きしめ続ける。
「・・・・・・」
「・・・・・・ノヴシゲさん」
 それでも、いつの間にかまぶたは閉じられていて。
「・・・・・・」
「・・・・・・ノヴシゲさん?」
 確実にその時は迫っているようだった。
「ノヴシゲさん!!」
 オレが悲鳴に近い声を上げると、ノヴシゲさんはゆっくりとまぶたを開いてくれた。
 くそ、いつになったらノヴシゲさんから暖かさを感じられるようになるんだ! これだけ抱きしめているのに! これだけオレの身体は熱いのに!!
 ノヴシゲさんは、弱々しく、ほのかに笑みを浮かべた。
「・・・・・・あったかいよ」
 よかった、オレの体温は、オレの想いはちゃんと伝わっている。そう思った。・・・・・・そう思っていた。ノヴシゲさんの、その言葉を聞くまでは。
「あったかいよ・・・・・・キンパチ」
 オレは泣きそうになった。
 やっぱりネズなのか・・・・・・? ネズの野郎じゃなきゃ駄目なのか?
 どうしようもなく悔しくて、どうしようもなく悲しくて、オレは叫んだ。
「キンパチじゃねえ!! オレはモリヤだ!!」
 ノヴシゲさんはその身をビクリと震わせた。そして、思いがけないことに、いつもの虚ろな瞳と無表情さを崩して、悲しさで表情を歪ませて、涙を流し始めた。
「の、ノヴシゲさん?」
「キンパチ・・・・・・キンパチ・・・・・・会いたいよ・・・・・・」
「ごめん、ノヴシゲさん!! オレは・・・・・・そんなつもりじゃ・・・・・・!」
「うぅ・・・・・・キンパチ。キンパチ・・・・・・」
 その涙を流すたびに、ノヴシゲさんの命が失われていくような気がして。
 事実、泣きながらもそのまぶたは再び閉じられていく。オレの体温が、ノヴシゲさんに伝わることは、もうないだろうか・・・・・・。
 ノヴシゲさんが、死ぬ。気が狂いそうになるほど冷酷な現実が、すぐ目の前にある。嫌だ・・・・・・ノヴシゲさんがいなくなるなんて。まだオレを見てくれてもいないのに!
 それでも、人はいつか死ぬ。それが早いか遅いかは人それぞれだ。だとしたら、せめて死ぬ時ぐらいは笑っていてほしい。悲しい心を抱えたまま死ぬなんて、それほど恐ろしいことは無いじゃないか。だから。
 ノヴシゲさんに泣いて欲しくない。オレが近くにいるって伝えてあげたい。一人じゃないって伝えてあげたい。そうすれば、その悲しみが少しは和らぐのではないだろうか。
 だけど、オレの言葉で、ノヴシゲさんは本当に泣き止むのだろうか。今までは、オレが何を言っても泣き止んでくれることはなかったから、結局はほとぼりが冷めるのを、馬鹿みたいに待ち続けるだけだった。

「それはですね、根津くんのマネをすることなんですよ」

 若様の言葉が頭をよぎる。そうか、若様はネズのマネをすればノヴシゲさんは泣き止むと言っていた。じゃあ、ネズの・・・・・・あの野郎のマネさえすれば、ノヴシゲさんは・・・・・・。
 だけど、オレは今までずっと虚勢ばかり張って・・・・・・調子のいいことばかり言って・・・・・・嘘ばかりついてきて・・・・・・・人を傷つけてきて・・・・・・逃げてばかりで。それで、自分の好きなヤツの最期にまで嘘をついていいのか!?
 それでオレは納得できるのか? 嘘なんかで、ノヴシゲさんの悲しみを本当の意味で和らげることができるのか!? ネズはもういないんだぞ!? いないヤツを想い続けてなんの意味があるんだ!!
 そんなの欺瞞だ。逃げだ。オレは、やっぱりオレを見てほしい。オレなら、オレの想いがあれば本当の意味でノヴシゲさんの涙を止めることが出来るはずだ。
「そういえば・・・・・・オレはまだ、ノヴシゲさんにはっきりと気持ちを伝えたことがなかったっすね」
 オレは、ノヴシゲさんの心に届いてくれると信じて、想いを伝える。
「オ レは、ノヴシゲさんのことがずっと好きだったんす。ノヴシゲさんが、女の姿になってオレの前に現れた、その時から。へへっ、野郎の時は全く興味なんてな かったんすから勝手なもんっすよね。それから、ずっとノヴシゲさんだけ見てた。ネズと一緒にいる時も、ナガムシ様のものになっちまった時も、ずっと。ノヴ シゲさんを引き取ることが出来た時のオレの喜びがわかりますか? ホント、嬉しくて嬉しくてしょうがなかったっす。自分自身、こんなに好きだったのかって 思ったくらいっすから。だから・・・・・・もっと早く素直になっていれば、こんなことにはならなかったんすかね、ノヴシゲさん・・・・・・」
「・・・・・・」
「ノヴシゲさんにはオレがいるっす。オレはネズみたいにノヴシゲさんを置いて死んだりしない。オレの想いだって、ネズなんかには負けない!! だから、泣き止んで、オレを見て、笑ってくれ!! ノヴシゲさん!!」
 オレは振り絞るように叫んだ。
 けれども、オレの想いも虚しく、またしてもノヴシゲさんの頬を伝う涙。
「・・・・・・キンパチ」
 その口からは、またしてもあいつの名が紡がれて。オレの想いは、伝わらないのだと、わかってしまった。
 オレの想いは、オレの今までの行為は、ノヴシゲさんと一緒に過ごした時間は。
 すべてが無駄だったのだ。
「ノヴシゲさん・・・・・・」
 もう、いい。
 オレの気持ちもわからないこんな女、ネズの野郎がいないという恐怖に慄きながら、寒さに震えて一人で死んでいけばいいんだ。オレはもう知らねえ!!
「・・・・・・うぅ」
 ・・・・・・だけど。
 ノヴシゲさんは、泣きながら、震えながら。きっと怖いだろう。もうすぐで、息を止めて・・・・・・雪のごとく冷たくなって。胸に悲しみを抱えたまま。一人で、いなくなる。それで、オレは良いのか? それで後悔しないか?
 オレが好きなのは、泣いている顔じゃなくて・・・・・・やっぱり、笑っている顔で。
「・・・・・・チッ」
 良いはずなんか、無かった。オレって本当に馬鹿だなあ・・・・・・。どうしようもなくオレらしくない。本当の意味とか、欺瞞だとかそんなのはどうでもいい。真正面からぶつかって熱血するのはネズだけでいい。オレは、小物で、姑息だ。
 好きになった女には、たとえそれが嘘の言葉だとしても、裏切って騙していたとしても、それでも幸せになるようにするのがオレだろうが!
「・・・・・・。ノヴシゲ、俺はここにいるぞ」
 ちゃんとネズに似ているだろうか。あの野郎の口調は、嫌というくらい覚えている。あんなふうになれれば、ノヴシゲさんに振り向いてもらえるかもしれない。そんなふうに思って、羨望の眼差しで二人を見ていた。
「・・・・・・。そう泣くな。俺がいるだろ?」
 オレはノヴシゲさんの頭を撫でてやった。あいつは、こんなふうに柔らかく撫でていたはず。ああ、あいつはこうすることをノヴシゲさんから許されていたなんて。本当にうらやましいぜ、ネズの野郎・・・・・・。
 すると、ノヴシゲさんはほぼ閉じかけていたまぶたを開けて、オレを、戸惑うようなその瞳で、まっすぐに見つめてくる。オレも、正面からまっすぐに受け止める。
「・・・・・・キンパチ。やっと来てくれたの?」
「・・・・・・。ああ、遅れてすまなかったな」
 オレがそう言って微笑むと、ノヴシゲさんも笑った。その笑みは、本当に嬉しそうで。オレが今まで見た中でも、一番魅力的な笑顔で。その瞳も、虚ろではないような気がして。
  突然、ノヴシゲさんはオレにキスをしてくる。ノヴシゲさんからしてくれた、最初で、最後の。まるで永遠のような。そんな陳腐な表現を使って、この特別な瞬 間に花を添えたくなる。だけど、永遠・・・・・・そんなわけがない。オレとノヴシゲさんの唇が触れ合っている時間は、泣きたくなるくらい短かった。
「・・・・・・ありがとう」
 ノヴシゲさんは静かにささやくと、まぶたを閉じてしまった。まるで居眠りをするかのように、頭がこくりと落ちる。その表情はとても穏やかで、幸せそうに見えた。
 雪は降り続き、何もかもを白く染める。入り込んだ雪がノヴシゲさんの頬に触れた。その一粒の結晶は、いつまでたっても溶けることなく、頬に張り付いたまま美しい形を保っていた。
「・・・・・・。ノヴシゲ、まだ寒いか? それとも、もう寒くないか?」
 オレがいくら話し掛けても、返事をしてくれる事は、もうない。
 その唇には、身体には、オレの熱がまだ残っているかもしれない。だけど、そんな微熱じゃノヴシゲさんのためになりはしなかったのだ。
「ははは・・・・・・」
 思わず笑ってしまう。なんて、なんて単純なヤツなんだろう・・・・・・哀れなほどに。
 オレは呻くと両腕に力を込める。視界が、みるみる歪んでいく。

「そんな単純で・・・・・・いいのかよ。あんた、あれだけネズのことが好きだったくせに。オレのヘッタクソな演技なんかに騙されやがって、こんなに嬉しそうに笑って・・・・・・本当に良かったのかよ。なあ、応えてくれよ。ノヴシゲさん・・・・・・」

 その問いかけに答えるはずの人が、オレのために笑ってくれたことは、一度もなく、そして、これからも二度とないのだと思うと、オレは彼女がすでに抜け殻であると知りつつも、すがり付かずにはいられなかった。

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