表現の難しさ こんばんは、愚腐弟です。 昨晩、某まとめサイトにて「ラノベでよく使われる表現方法」的なスレのまとめがあったので、読んでみました。 正直、ドキリとさせられました。 「突発的に、TPOを無視して難しい言葉を使う」「一人称と三人称を使い分けてられていない」「やたらヒロインの容姿を賛美する」等々。 正に僕の事じゃないかと。 スレのまとめとしては、やはりというか、ラノベの文章は酷いみたいな流れになっていましたが・・・。 ラノベの文章は酷いというよりも、住み分けの問題というか、単にラノベの読者層に受ける表現をしているだけだと思うのですが・・・。 閑話休題。 この言葉もよくラノベで使われているような気もしますが・・・ともかく話を戻しますと、僕も無理に難しい言葉を使って文章を書こうとしていたなと思って少し反省しました。 僕は、本を読んでいて本文に難しい言葉をピタリと当てはめられていると、すごくカッコよく思えてしまうんです。 それに僕自身に学がないもので、知識を少しでも増やせるよう日ごろからなるべく辞書を開くように心がけているので、その応用とばかりに調べた言葉は使いたくなってしまうんですね。 シナリオを書いていると、どうしても似たような表現ばかりになってしまうのが嫌で、小手先の技術に頼ってしまっているのでしょう。 言い訳ばかりですが・・・。 それがです。 フルメタル・パニック!アナザーの4巻における賀東招二さんの解説に、僕にとってすごくためになる言葉が書かれていました。 賀東さんはこの作品の監修をされているのですが、監修ってどんなことをしているのか? という読者の疑問に答えていました。 その中で、監修の一環としてテクニカルな部分、要するに作文について言及されていて、特に、 「それから『言った』という表現のこと。これは誰でもそうなんですが、小説書いてるとどうしてもセリフの合間に『●●は言った』的表現を入れなければならない場面が多発します(特に人数が多い場面誰が言っているのか明らかにするため)。で、原稿書いてて同じ表現が続くのは書き手としてどうにも気分が悪い。そうなると、単純な『言った』という言葉を連発するのが嫌なので、『語った』とか『話しかけた』とか『声を張り上げた』とか『言葉を紡いだ』とか、あれこれ言葉をいじくりまわすわけです。特に新人さんに多い現象です。 で、作者はこれで安心できるのですが、読む方はたまったものではないのですね。読者さんは『要するに「言った」なんだろ!? グダグダ遠まわしな表現するなよ!?』とイライラMAX。あんまりいいことはありません。そんなわけで、『言った』を使うかどうかを迷った時は、腹をくくって『言った』で済ませましょう。大丈夫! 普通の読者は『言った』が一ページに三~四回出ても気にしません」 という部分を読んで、僕は衝撃を受けました。「言った」という言葉を、僕はまさしくいじくりまわしていたからです。 「言った」に限らず、シナリオを書いていると、どうしても陳腐な表現を避けようという意識が働いてしまい、そのために言葉をいじくりまわし、結果として読みにくい文章になってしまっているなと。 しかも、他の表現にするという事は、その度にうんうんと頭を悩ませることになるというわけで、余計な労力もかかっていました。 それが、強迫観念に駆られて小難しい文章にするくらいなら、シンプルに行った方が良いというお墨付きをプロからいただけたような気がして、少しだけ気が楽になりました。 とはいえ、言葉はより多く知っていることに越したことはないので、辞書を手放す気はないのですが、これからは気負いすぎずにバランスの良い文章を書けるよう精進していきたいなと思っております。 それにしても、文章を書くって難しいですね・・・。 知識もなく、頭が良いわけでもない僕の書いた文章で、どうやって知識人の方々の書く文章に対抗すればよいのか。 僕の書いた文章なんて歯牙にもかけられないのではないか・・・。 そんなふうに頭を悩ませています。 けれども、もし僕の文章で一矢報いることができるとすれば、それは「想い」を文章にのせることだと思います。 自分の中から迸るような熱き感情を、文章に昇華させること。 いくら技術的に優れた文章でも、気持ちが入らなくては乾いた心を反映してしまうのではないかと思います。 だから、技術的に未熟でも、本気で、気持ちを込めて書く事。 そんな熱い気持ちから生まれた文章こそ、そんな文章だからこそ人を感動させられるのではないかと僕は信じています。 僕は、自分自身の感動を文章にぶち込みたいという心を、誰にも負けないよう持ち続けたいと思います。 って、長くて妙に熱く真面目に書いてしまいましたが、今日はこの辺で。 ʅ(✧≖ _ゝ≖)ʃ <アディオス!! PR